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むかし、あるところに(小林道夫さんとスタジオ・ルンデの話)




Es war einmal ein kleiner Musiksaal in Nagoya,
der “RUNDE” genannt wurde.....

(訳)むかしむかし、名古屋に「ルンデ」と名付けられた小さな音楽ホールがありました・・・

 2007年の6月に閉館し、現在は取り壊されてしまった「スタジオ・ルンデ」さんのウェブサイトは、ホールが消滅したいまもまだ残っていて、そこにはその活動の25年分のアーカイブが今でも閲覧できるようになっています。
(こちら⇒ http://www.pippo-jp.com/runde/index.html )

 私の《ルンデ》体験は、は高校生の頃、当時NHKドキュメンタリー番組「映像の世紀」のテーマ音楽で反響を呼んでいた加古隆さんの個展を、会場に対する何の前知識もなしにひとりで行ったことでしたが、それまでに行ったことのあるどのコンサートとも違う、独特な会場と聴衆の雰囲気に圧倒された記憶が今も鮮明に残っています。その後上京してしまい、名古屋に戻ってきたのが2007年の6月でしたので、後にも先にもルンデさんに足を踏み入れたのはあの1回だけでしたが・・・。

 かたや、2007年3月にオープンした宗次ホールは、まさにルンデさんと入れ替わるように登場したわけで、目指すポリシーには違いはあるものの、やはり意識しないではいられない存在でした。おそらくルンデさんに足しげく通われたクラシック・ファンの方々もまた、宗次ホールに対してルンデさんの後継としての役割を期待されたでしょうし、アーティストもやはりそうだったと思います。ルンデさんに登場していた演奏家たちの名前をつらつら見ていると、いま宗次ホールに登場している方々の多くをそこに見つけることができます。なんとルンデさんの自主企画第1弾に登場したのは、当時学生だった古澤巖さんだったとのこと(!)。いまでは信じられないような高名な演奏家が160席の小さな会場に登場していました。

 そんななかでもルンデさん常連アーティストの筆頭が、ピアニスト、チェンバロ奏者、指揮者、日本におけるバッハ研究の草分け、伴奏の名手・・・など様々な肩書を持った人、そして来月1月のお誕生日で米寿を迎えられる、日本のクラシック音楽界の生き字引ともいうべき小林道夫さん。2007年の4月、閉館に伴う「さよならコンサート」まで、合計出演回数は52回。そして最後のコンサートのプログラムのはしがきにルンデのオーナー 鈴木詢さんが添えたのが、記事冒頭に書いた「むかしむかし・・・」の言葉でした。

 小林さんは「さよならコンサート」に先立ち、ルンデさんにとって「定期演奏会」にあたる「例会」の最後の会にも登場。2006年6月25日のことです。その時に演奏したのが、(明後日、宗次ホールでも弾いていただく)「ゴルトベルク変奏曲」です。そのときのお客様の感想もまだ、こちら で読めるようになっています。

 ルンデさんのことを思うとき、常に、音楽ホール、それも民間運営のホールというのは、何らかの形で終わりがやってくるものだということを考えます。宗次ホールは次の春が来てやっと14年ですが、果たしてこの先どうなっていくでしょうか。コロナ禍でホールがホールとして機能できなくなった数か月間を味わった今年、余計に「終わり」について考えながら、きっと小林さんのゴルトベルク変奏曲を舞台袖で聴くことになりそうです。

 小林さんには感染拡大が心配な状況の中、ご自宅のある大分の由布院から名古屋までお越しいただきます。よろしければぜひ、ご来場ください。

公演ページへ⇒  小林道夫チェンバロ演奏会 ゴルトベルク変奏曲
(にしの)


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