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ベートーヴェン、難聴の軌跡



ベートーヴェンの生誕250周年はコロナウィルスの影響で中止公演が相次ぐ年となってしまいましたが、今年以降もその音楽はずっと演奏され続けます。
今日は、Gabriela Lena Frankさんというアメリカ人作曲家/ピアニストによる記事をご紹介したいと思います。ガブリエラさんは生まれながらにして難聴。ベートーヴェンは20代後半から難聴が悪化し40代では完全に聴力を失っていたといいますが、ガブリエラさんはベートーヴェンの音楽を読むことで、そこに隠された難聴の症状がわかるといいます。


【以下、ガブリエラさんによる記述】
小さな頃から、難聴がどのようにベートーヴェンに影響を与えていたかに興味がありました。例えば初期のピアノソナタ第1番(24歳で作曲)を見ると、右手と両手の音域がさほど離れていないことがわかります。またそれぞれの手の動きも大体似通ったもの。


中期以降の作品になると、それぞれの手は全く異なる動きをし、音域も離れていきます。もちろん、その通りでない作品もありますが、例えば<ワルトシュタイン>(34歳~35歳)作曲の頃には両手が離れているだけでなく、それぞれ全く異なる動きをとっています。左手は和音の連打、対する右手はごく短い下降旋律で開始。


昔、聴覚障害をもつ子どもの為のレッスンで、厚みのある音と薄い音の違いを感じるように教えられました。先生に目を閉じるように言われ、低いドラムロール音や、高い笛の音がどちらの方向から鳴っているか当てるというトレーニングです。正直なところ私は両方ともよく聞こえませんでしたが、二つの音の異なるエネルギーのようなものははっきりと体で感じることが出来ました。

ベートーヴェンが高・低に広い音域を使うようになったのは、この理由からでしょう。これにより音域の広いピアノが必要となり、それを職人たちに要求したというのは素晴らしいことだったと思います。また彼は、響きがより豊かになるように重量のある楽器を望んだ。「広い音域、大きな振動と豊かな響き」。これは、聴覚障害者にとって「より聴こえやすい」条件なんです。私達にとってぶつかる音(不協和音)、分厚いテクスチャー、濁った周波数 は聞きやすい。おのずと、音楽語法もそのようなものに変わっていったのでしょう。

私の場合、数日補聴器を外すと作曲のアイディアはどんどん内向的なものへと変わっていきます。理知的で多声的、精神的で少し不思議な世界観のものへと。これは、ピアノ作品に限らずベートーヴェンの後期作品についてもあてはまります。
そして、私は締切に追われている時には敢えて補聴器を外し、数日間静寂の世界に生きるようにしています。夢の中ではありえない出来事が起こるように、音がない世界では想像力が羽ばたきます。作曲するには理想的な世界なのです。


ベートーヴェン以降、全ての音楽家(そのほとんどが聴覚障害が無いにも関わらず)が、この偉大な作曲家の“難聴有りきの美学”に影響を及ぼされている、といっても過言でないでしょう。現代のピアノも、この難聴の作曲家があの時望んでいなければ、誕生していなかったかも・・・しれませんね?


ベートーヴェンが、現代の補聴器を見たらどう思うかな、と時々考えるんです。補聴器の技術は驚くほど進歩しており、「人の話し声がよく聞こえるように」などカスタマイズが可能。これらは(生まれつきではなく)ある時から耳が聞こえづらくなった人達のニーズに応えるものといえます。これまで出来ていた「人との会話」が出来なくなるのは苦痛ですからね。
しかし、私のように生まれながらの難聴者は読唇術や手話に長けています。また音楽家として、音色の美しさやピッチ、生の音を大事にしたいですから、人工的に手が加えられた音は好みません。そういう点では、ベートーヴェンも現代のデジタル補聴器を好まないのではないだろうか?と想像してしまいます。

私はピアノの練習をするとき、まず補聴器無しで始めます。子どもの頃から慣れ親しんできた、深い静寂の世界に入るのです。
しばらくは頭の中で音を再生しながら練習し、それからはフィジカルな手の動きに集中するんです、まるで体操かダンスのように。
例えば8つの音からなる和音を弾くとすると、大抵のピアニストはバスの音と旋律の音を際立たせるようなポジションで弾きます。しかし、このように音色ファーストでいくと、手と腕は不自然な形をとることになり、手の故障の原因になることも。
これを避ける為に私はまず体に無理のない動きを覚えさせ、それから初めて補聴器を付けて音作りに進むのです。音楽には“音量”以上に大切なものがたくさんあり、私のような難聴者はただ“音量”が聞こえないだけであり、その他の音楽を愉しむために必要なものは失っていないのです。絶対音感もあるので、ある意味人の話声より良く理解できます。


ベートーヴェンも同じような感覚だったのではないかと思うのです。
難聴が進み、それについて話すのを避ける為に人との交流を避けるようになっていったベートーヴェン。20代後半から失われていく聴力の記録が、その音楽に刻まれています。暗号化されていると言ってもいい。ベートーヴェンの人生の旅路を、そこに読み取ることができるのです。

参照:I Think Beethoven Encoded His Deafness in His Music
(ひろた)


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