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偉大な作曲家の母たち



みなさまこんにちは。
いよいよ大型連休ですね。去年のGWは記録的な長さでしたが、2020年のゴールデンウィークがこんなにも外出できないものになるとは、あの時誰が想像したでしょうか。

巷ではコロナのニュースばかりで、やや隅に追いやられている感がありますが、5月10日(日)は母の日。今日は、偉大な作曲家たちを育てた【おかん】特集です。

ショパンの母:ユスティナ・ショパン


綺麗な方ですね~!ショパンの面影を感じます。ちなみに、本名は、
“Tekla Justyna Krzyżanowska, Justyna z Krzyżanowskich Chopinowa”
(長い!)ポーランドとかロシアの苗字って、女性だと「a」で終わり、男性だと「iとかy」で終わるんですよね。(ですよね?)
日本の車メーカー、Suzukiは「i」で終わるから男性、Hondaは「a」で終わるから女性名詞扱いされると聞いたことがあります。間違ってたらすみません。

このショパンの母ユスティナさんですが、ショパンが1849年わずか39歳の若さで亡くなっていますから、お母さんが息子を看取ったのですよね。哀しい。
ショパンは死の間際、未出版の作品は全て破棄してほしい。と母・姉に伝えましたが、二人はその未発表作品達を大切に保存し、その後出版しました。

チャイコフスキーの母:アレクサンドラ・チャイコフスカヤ


(ちなみにチャイコフスキーの姉も同じ名前、アレクサンドラさんです。)
母・アレクサンドラは、わずか40歳でコレラに感染し亡くなります。
これに深い打撃を受けたチャイコフスキーは母との思い出に捧げたワルツを作曲しましたが、これが、それまで法務省で官吏として働いていた彼の、最初の作品といわれています。


ちなみに、こちらはチャイコフキー家の家族写真。


ピオトル君は一番左、お母さんにくっついています。

モーツァルトの母:アンナ・マリア・モーツァルト


モーツァルトの父は映画などでもクセのある人物として描かれていますが、モーツァルトは母を溺愛していました。厳しい父に反して母は愛情深く、生涯に渡って子供たちと親密で良好な関係を築いていたようです。
1777年にはモーツァルトのヨーロッパ就職活動の旅にも同行しますが、翌年亡くなってしまいます。

リストの母:アンナ・リスト


9歳で両親を亡くし、その後メイドとして働いたという苦労人。
フランツ・リストは唯一の子供で、父亡き後フランツはピアノを教えて生計を立てながら、母とパリで同居しました。
(ちなみに、リストが愛人マリ・ダグーとヨーロッパ旅行に出ている間、アンナはコジマなどフランツの子供たちの面倒をみてあげていました。)

ファニーとフェリックスメンデルスゾーンの母:レア・ザロモン


二人もの偉大な音楽家を育てた母。自身も素晴らしいピアニストでした。
当時滅多に聴かれることのなかったJ.Sバッハ作品をこの頃から支持していたのが他でもない母・レアで、後のフェリックスによるバッハ復興のきっかけとなったのかもしれません。

ちなみに、この可愛らしいレアさんの肖像画が気になって調べてみたのですが、ファニーの夫であった画家ヴィルヘルム・ヘンゼルによるものでした。

彼の手による美しいファニーの肖像画を目にしたことがある方も、いらっしゃるかもしれません。(↓)


ベートーヴェンの母:マリア・マグダレーナ・ケフェリッヒ


これまた、暴君であったベートーヴェンの父に対して、情深く優しい女性だったと言われるマリア・マグダレーナ。裕福な商人の家庭に生まれ、最初の結婚(18歳)では夫に先立たれ、再婚した相手がベートーヴェンの父となるヨハンでした。
ベートーヴェンは16歳の時モーツァルトを訪問すべくウィーンの旅に出掛けますがここで母危篤の知らせ。まもなくマリアは40歳の若さで亡くなります。その後父はアルコール依存症となり、家計を支えなければならなくなったベートーヴェンは仕事を掛け持ちし、父や兄弟たちの世話に追われることとなるのです。


代表的な作曲家達の母親たちを取り上げてみました。
最後に、ベートーヴェンの母が亡くなった年に、彼が友人に向けて書いた手紙の一部をご紹介したいと思います。

「(母危篤の知らせを受け)彼女がもう一度復活し、困難に立ち向かう勇気を私に再び与えてくれることを夢見ましたが、7/17に闘病の末、亡くなりました。彼女はあたたかく愛情深い母であり、私にとって一番の親友でもありました。母の名前を呼ぶことが出来ていた時、私以上に幸せな人間
は居ませんでした。今はその名を呼んでも静寂が在るだけ。」

手紙にはその後、自身の喘息と、それが肺病を引き起こすのでは、という不安が綴られています。
母への愛情、そして疫病への恐怖は時代が移っても変わらないものなのですね。


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