アンドレイ・ガヴリーロフ。世界中が熱狂したピアニスト
でも、私の芸術は、私の魂そのものであり、他の誰のものでもない。自分自身で所有していたかった。名声も、高級車も、私を全く幸せにしないことに、気が付いた”
1984年にはロシアを離れ、イギリス、ドイツ居住を経て2001年以来スイスに定住。
「ある朝、なぜかわからないけど、突然、あぁ、今夜のベルギーでのコンサートでは弾けない。って思い立ったんだ。マネージャーに電話すると、“おかしなことを言うな、完売だ、女王も出席するんだ”と怒られた。けれど、自分でもどうしてそう思ってしまったか、わからないんだ。
自分自身に全く満足していなかった。キャリアは順調だったし、全て手に入れていたし、演奏技術という面では上手くやっていたと思う。しかし、このままキャリアを継続していたら、自分がずっと目標としてた芸術家には到底なれない、とわかったんだ。」
貴方の著書の中で、演奏家は、作曲家の全ての私生活にまで及ぶ人生を全て把握する必要がある、と述べておられます。もちろん、作品の意味を理解することにそれは不可欠だとわかるのですが、実際に舞台で演奏する際に、どのように影響していると考えますか?
●ガヴリーロフ●
私達演奏家は、作曲家が意識的に・または無意識的に音に込めていた“様々な情報”を表現しようと常に試みています。なので、作曲家の私生活まで全て理解している演奏家は、その作品の“核”となる部分を見落とすことが少ないのです。
例えばショパンのノクターンは彼の音楽日記。それぞれのノクターンが、彼のとてもプライベートな物語のひとつひとつなのです。
○質問○
ヨーロッパ人とロシア人とで、クラシック音楽の理解についての違いは何だと思われますか?
●ガヴリーロフ●
ロシアの文化も西洋文明の中に当然含まれますから、広い意味での“西洋文化”を背景にもつ人達の音楽への解釈に大きな違いはないように思います。ですが、もちろん個々の民族によって細かい違いはあります。例えば、多くのドイツ人とロシア人にとって、クラシック音楽とは、言うなれば現世的(世俗的)な宗教のひとつ、といった感覚があります。
一方、イギリス、フランス、アメリカの聴衆にとってクラシックとは美しい芸術を享受するもの、といった感覚があるように思います。
しかしやはり大きい意味で、音楽は人間の無意識のレベルにまで訴えかけるという点、そして美への飽くなき探究。という所は共通しているといえるでしょう。
○質問○
貴方の著書の中で、7年間もの間、ピアノに触ることなく演奏活動からも遠ざかっていたことが書かれています。とても長い期間ですが、その間、何をされていたのでしょうか?
●ガヴリーロフ●
近年、私は音楽を「人生に於ける、官能的な哲学」と定義づけています。これは、良い演奏家は人としても経験豊富な人物であることが望まれる、ということです。
私達演奏家は、よちよち歩きを始めた頃には楽器の練習を始め、以来ずっと演奏に打ち込んでくるわけです。結果として、“普通の人間”としての人生経験を積む時間が殆ど残されていない。
私は、自分自身が掲げた「人生に於ける、官能的な哲学」という概念を実現すべく、空白の7年間には宗教から哲学、地政学、そして愛について学んできたのです。
さぁ、どんな公演になるのか…本当に残券僅かです!ご予約はどうぞお早目に!
参照:Andrei Gavrilov: Interview with Asteroid Publishing Company
https://andreigavrilov.blog/2017/02/27/andrei-gavrilov-interview-with-asteroid-publishing-company/
About: https://andreigavrilov.blog/about-en/
ガーディアン紙:https://www.theguardian.com/music/2006/dec/21/classicalmusicandopera