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6/19 ドビュッシーとモーツァルトの「光と影」




「日本の聴衆にも、もっと知ってほしいピアニスト」(月刊CHOPIN



「聴きての心を呪縛するような魅力。このようなピアニストとは、ざらには出会えまい」(レコード芸術)



 



長きに渡り欧米で活躍され、それゆえ日本国内ではまだあまり知られていない名手、橋本京子さんのご紹介です。



このインパクト大!なちらしが印象に残っていた方もいらっしゃるかもしれませんね。



今回は、「ドビュッシーとモーツァルトの光と影」というタイトルで、両作曲家の作品を交互に並べる、という大変興味深いプログラム。



演目を眺めてみると・・・モーツァルトは最後のソナタを除いては全て短調の作品ばかり、対してドビュッシーは明るめの作品が並びます。橋本さんに、そのあたりのお話を伺ってみました!



 



(以下、本人インタビューより)

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モーツァルトは、ピアニストにとって永遠の課題です。音が少なく、スタイルが確立しているので、演奏者の音楽性が全面に表れてしまうからです。モーツァルトの短調には、長調の作品とは明らかな違いがあります。心の奥底にある、どうしようもなく、逃れることのできない“かなしみ”が聞こえてくる気がするのです。



ドビュッシーとモーツァルトは全く違うスタイルでありながら、私は両方の作曲家の作品(モーツァルトの場合は短調の曲に)「負の美学」「束の間の感性」を感じます。モーツァルトのこのソナタ(前述の、唯一の長調作品)も緩徐楽章が美しい短調の曲なので、そのために選んだのです。ドビュッシーの前奏曲は衰退の美、非現実でありながら心を撫でるジェスチャー、捉えどころのない魅惑的な色彩、など音と音、和音と和音の間に神秘的な何かがあります。



フランスの高名な哲学者、ジャンケレヴィッチは



「落下と浮揚、深淵への傾斜と高みへの上昇が、生という一つの躍動に二相に他ならないように、死と愛は、まったく同一の神秘にほかならないのである。ドビュッシーの音楽は、生と死の連帯、われわれが運命づけられている非在、存在のワクワクするような豊饒さを我々に告げているのである。その音楽は、神秘と詩の言葉によって、この世で何よりも大切なのは、世界そのものとその偏在性であると教えている」と残しています。



 プログラムは第1部も第2部もドビュッシーの過去への想いで始まり、躍動感のある作品で終わります。ドビュッシーの、明くユーモア溢れる作品の中にも、どこか「哀しみ」や「儚さ」があるように感じます。そしてそれはモーツァルトにも繋がるのではないでしょうか。

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今回のプログラムにも含まれている、橋本さんによるモーツァルト:ロンド
イ短調 K.511の動画はこちら。

 



短調の中、明るい陽がふと差し込むように長調寄りの和音が束の間顔を出したり、



刻々と変わる色彩を繊細に表現する橋本さんのピアノ。



「彼女が奏でるモーツァルトは、“影”という一見モノトーンの世界の中に、たくさんの表情と色を見出すことができるはずだ」(ぶらあぼ)と評されているその演奏を、ぜひ聴きにいらしてください。チケットは好評発売中、当日券もございます!

スイーツ(橋本京子)表スイーツ(橋本京子)裏



 



 



 



 



 



 



 



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