スイーツタイムコンサート
ティンティンの音楽紀行 旅を彩る中国琵琶音楽会
2025年
12/1
(月)
13:30開演
13:00開場
- 出演者
- ティンティン(中国琵琶)吉田まゆみ(ピアノ)タコボー(打楽器)
- 曲目
- 写真&映像付きコンサート
中国琵琶奏者であり人類学者であるティンティンの音楽作品の中には、シルクロードや雲南茶馬古道に関わる作品が多数存在している。
2024年からティンティンは琵琶を背負い、現地の砂漠や雪の山に足を運び、自然の中で琵琶を奏で最高な音楽を追求していた。
その写真と映像と同時に、是非ティンティンの音楽を楽しみましょう。
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※座席A列7番~A列17番については指定席とさせていただき「プレミアムシート」として入場券に500円プラスした金額で販売いたします。
ご希望の場合、発売日当日はお電話のみでのご予約、発売日翌日以降はお電話もしくは店頭でご予約を承ります。
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※発売日当日は 店頭での販売は行いません。
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発売日時:2025年9月14日 10:00(一般自由席はWEB予約も可能)

ティンティン(中国琵琶)
西安出身、両親共に音楽家であり、3人姉妹の末娘として音楽の英才教育を受ける。6歳から琵琶を始める。国立西安芸術学校 中国琵琶専攻を首席で卒業。1997年留学生として来日。2001年第10回在日留学生音楽コンクールでの優勝をきっかけに全国デビュー。
2002年日中国交正常化 30周年記念ディナーショー(共演:アグネス・チャン)や「東大寺大仏開眼 1250年慶讃コンサート /東儀秀樹・大伽藍コンサート」にゲスト出演したほか、2004年韓国 Soul Performing ArtsFestivalにて2日間コンサートを行い、翌年2005年に加藤登紀子さんと日本縦断の旅に出掛け、新曲「この星を庭として」を愛・地球博会場で発表(テレビ朝日系番組「森と水の旅」で全国放送)。同年5月ジュディ・オングさんのコンサート(東京・名古屋)にゲスト出演。2007年、2010年ブルーノートに二度も出演、2008年TBS『世界ウルルン滞在記』、BS朝日『中国神秘紀行』にてテーマソングを演奏していた。2007年3月わずか3年間で「言語文化博士号」取得、執筆した博士論文は日本国立国会図書館で永久保存。同年4月、中部大学国際関係学部に就任、現在中部大学国際学科準教授として教鞭を執りながら日中古楽器の研究や演奏活動に取り組んでいる。2008年朝日放送による出版されたDVDシリーズ『正倉院の楽器』に出演及び論文提供。
2016年2月~3月アメリカオハイオ大学芸術学部の交換客員教授として派遣し、2018年から客船飛鳥IIとピースポート世界クルーズ船の特別講師として演奏と講義を行い、癒しの女神と国際親善大使として確実に人気を集めている。
吉田まゆみ(ピアノ)
エレクトーンプレイヤー中林一雄氏に師事。ジャンルにとらわれない演奏スタイルを目指して色々な分野の音楽を経験。2003年ティンティン&虹橋バンドに加入し現在に至る。
現在はBOWWOWのギタリスト山本恭司氏、天才少女ドラマー川口千里氏、シンガーソングライター中村耕一氏らと演奏活動中。作曲家森悦彦氏の楽曲アレンジを担当。浪曲歌手真山隼人氏のレコーディングをプロデュース。
その他合唱伴奏。ヤマハPSTA講師。
本多正典(打楽器)
名古屋出身。尾張高校(現・大谷高校)卒業。1979年ヤマハドラム講師。1980年センチメンタルシティロマンスに加入。1981年、加藤登紀子ツアー中、山形新庄にて2万2千ボルトによる感電事故、九死に一生を得る。5回の手術と1年余りのリハビリの末、歩行障害が残るものの、温かい友人達に支えられ退院。1985年渡米。ロサンジェルスにあるM.I.P(Music Instituteof Percussion)講師プエルト・リコ出身のEfrain Toro(エフレイン・トロ氏)に師事。1989年、帰国。パーカッショニストとしてジャンルを問わず参加する他、喜多郎、加藤登紀子、薬師丸ひろ子らのツアーに参加。インドネシア、モンゴル、中国などアジアを中心に活躍。
1994年「パーカッションによる子供達との会話」を開始。「誰でも楽しく遊べるパーカッションワークショップ」を展開。後のタイコ・コミュニケーションの基盤となる。
1996年、自らの経験からリハビリにパーカッションを取り入れた「タイココミュニケーション」を考案。障害者施設、高齢者施設、学校等で開催、現在に至る。単独での開催の他、名古屋フィルハーモニー交響楽団との共演や藤前干潟でのイベントなど実施。