伊藤悠貴 J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲(全曲)〜ワインベルク「24の前奏曲」との対話〜
2027年
1/30
(土)
14:00開演
13:30開場
- 出演者
- 伊藤悠貴(チェロ)
- 曲目
- [第1部 D(ニ調)の世界]
ワインベルク:無伴奏チェロのための24の前奏曲 Op.100 より 第3番「D」
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012
[第2部 C(ハ調)の世界]
ワインベルク:無伴奏チェロのための24の前奏曲 Op.100 より 第24番「C」
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009
[第3部 E♭(変ホ調)/G(ト調)の世界]
ワインベルク:無伴奏チェロのための24の前奏曲 Op.100 より 第21番「E♭」
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010
ワインベルク:無伴奏チェロのための24の前奏曲 Op.100 より 第17番「G」
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007
※休憩2回を含む約3時間
※「ハーフ60」の設定はございません。
↓必ずご確認ください。
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※曲目やHPに記載の内容は変更となる場合がございます。予めご了承ください。
発売日時:2026年10月11日 10:00
チェロ 伊藤 悠貴 Yuki Ito
ブラームス国際コンクール第1位、ウィンザー祝祭国際弦楽コンクール第1位。フィルハーモニア管弦楽団をはじめとする国内外の主要オーケストラとの共演や、ウィグモア・ホール、ロイヤル・フェスティバル・ホール、カーネギーホールでのリサイタルなど第一線で演奏活動を展開。2025年サントリーホールにて、チェロ協奏曲《カサノヴァ》管弦楽版を作曲者ヨハン・デ・メイ自身の指揮のもと世界初演。2026年にはバッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会を横浜みなとみらい大ホールで開催し、大きな反響を呼んだ。著書に『ラフマニノフ考』。ラーセン・アーティスト。英国音楽家名誉組合賞、齋藤秀雄メモリアル基金賞、ホテルオークラ音楽賞など受賞歴多数。
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲 全曲演奏会に寄せて
2026年4月、私は人生で初めて《バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会》に臨みました。
それからまだあまり時間は経過していませんが、早速すでにそのときとは全く違うアイディアやイメージが生まれています。こうして再び全曲演奏会を行う機会をいただき、これを新たな気持ちで迎えることができるのは大きな喜びです。
引き続き、組曲の配置には大きなこだわりがあります。
まず同主調である《第2番》(ニ短調)と《第6番》(ニ長調)を、次に《第5番》(ハ短調)と《第3番》(ハ長調)を並べたのは、同じ主音を持ちながら異なる光を放つ二つの組曲を、一つの繋がりの中で聴いていただきたいという意図によるものです。そして、普通は全体の最初に配置される《第1番》を最後に演奏するということについては、今や私の中でこれ以外ないと思う流れになりました。
私にとって組曲《第1番》は、まさに新約聖書の『ヨハネの黙示録』にある有名な言葉「わたしはアルファであり、オメガである」を想起させます。つまり、《第1番》はチェロ組曲の「初めであり、終わりである」のです。
また今回は初めての試みとして、バッハに加え、ポーランド出身の作曲家ワインベルクが24の調を駆使して作曲した「独奏チェロのための24の前奏曲」の中から、バッハの組曲と同じ調性を持つものを組み合わせて演奏する取り組みを行います。それぞれの調性が持つ音楽的な性格を、皆様の耳でもお楽しみいただけましたら幸いです。
もともと5弦の楽器のために書かれているがゆえに4弦のチェロで弾くには高い難易度を持つ《第6番》や、あまり開放弦が使えず左手への負担が大きい《第4番》などを筆頭に、今も昔もバッハのチェロ組曲は国内外のコンクールの定番課題曲です。バッハを弾くときは暗譜が当たり前という固定概念もあり、これまで何の疑問も持たずにどの組曲も暗譜で弾いてきたため、もしかすると楽譜を見て弾く方が私にとっては困難だったかもしれません。
しかし研究を進めるうちに、これまで暗譜で弾くことに慣れすぎていたために見落としていた楽譜に隠された多くの意図を読み解くようになり、そのあまりに完璧な音楽に驚嘆と脱帽の毎日を過ごしました。《ロ短調ミサ》、《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》との関連、楽譜を構成している様々な数字に秘められた意味…。これはほんの一例ですが、バッハにとって“42”という数字は非常に大切です。前述の新約聖書『ヨハネの黙示録』において、42ヶ月は苦難の期間を表します。ですがこの苦難は必ず終わり、神の支配が最終的に勝つという意味合いがあるため、ネガティブなイメージでは使われません。楽譜をよく見ながら弾いていると、不思議なことに、暗譜で弾くよりもそれがはっきりと分かってきます。六つの組曲において、42小節で(もしくは42小節になるように)書かれた曲は「ソレシラシレシレ…」で始まる高名な《第1番》のプレリュードを含めて三つ存在するのですが、それもよく知っているはずの楽譜を改めて読み込むことで見えてくるものです。
私がライフワークとするラフマニノフの作品で例えるならば、《チェロとピアノのためのソナタ》冒頭の2音には隠れた言葉があるとか、作品には作曲家本人による何らかのヒントがあるものです。しかし自筆譜が失われているバッハのチェロ組曲についてはそれがほとんどありません。数少ない例として、バッハがのちに《第5番》をリュートのために書き直した譜面の自筆が現存していることが挙げられますが、そのリュート版のプレリュードにおけるフーガ(厳密にはフーガ“風”)冒頭にある“Très vite”(とても速く)という表記でさえ、バッハの肉筆ではない可能性があることが分かっています。
また四つある筆写譜のうち、アンナ・マグダレーナとヨハン・ペーター・ケルナーの二人は《第6番》ガヴォットIIの後半に舞曲で唯一繰り返し記号を書いていなかったり、そうかと思えば、四つ全ての筆写譜およびバッハの自筆リュート編曲譜が《第5番》アルマンドの25小節目にある不可解なG-D-A♭の和音(和声的には直後にE♭majorが確立されることから属七B♭-D-A♭を想像する箇所)を肯定していたりと、何が「正しい」かについては誰もが首を縦に振る答えは永遠に出ないでしょう。
言い換えれば、バッハのチェロ組曲を演奏する上で研究は当然必須である一方で、最後に最も重要なのは想像力と感性です。そしてそれは、何気ない風景や日常の出来事からその精神的本質を突如として悟る啓示的瞬間、すなわち“エピファニー”と深く結びつきます。絵画や文学と異なり、表象を超越して意志そのものを直接表現することができる唯一無二の芸術である音楽において、演奏家が求められている表現はまさに、これに帰着するものだと私は思います。 文:伊藤 悠貴