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6/22 サラ・デイヴィス・ビュクナーさん


“彼”に出来る事が“彼女”にできないはずがない


Anything He can Do, She can Do!

(ニューヨーク・タイムズ紙インタビューより)






昨年11月ピアノ弦を切る程の熱演で当館を沸かせたビュクナーさん。
(コンサート当日の様子はこちらをご覧くださいませ
そのパワー溢れる演奏の裏にあった、壮絶な人生。



84年ジーナ・バッカウアー優勝、チャイコフスキー国際と、エリザベート王妃国際、
そしてリーズ国際などの名だたる名門コンクールでファイナリスト、
と輝かしい経歴をもつビュクナーさんですが、
実はあることが発端となってキャリアを一から築かなければならなくなった方なのです。 


文責:宗次ホール企画担当 廣田 政子(ひろた まさこ)





無題




サラ・デイヴィス・ビュクナー (ピアノ)
Sara Davis Buechner, Piano
 


1959 年ボルティモアに生まれたアメリカのピアニスト。
ジュリアード音楽院でチェコの巨匠ルドルフ・フィルクシュニーに学ぶ他、
バイロン・ジャニスにも師事。
1983年エリザベート王妃国際コンクール入賞、
1986 年チャイコフスキー国際でも入賞、銅メダルを獲得。
1984 年ジーナ・バッカウアー国際コンクールで優勝ほか、
リーズ国際、ザルツブルク、シドニー、ウィーンなどの国際コンクールでも受賞歴を持つ。
 
協奏曲のレパートリーは常時100 曲を越え、
ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管、クリーヴランド管、サンフランシスコ響、
バーミンガム市管、 BBC響など、世界中の主要なオーケストラと共演。
ソロでもカーネギーホール、リンカーンセンター、プラハのドヴォルザークホール等で
リサイタルを開催。
日本でも演奏と教育の両面で度々来日し、2016年京都でのリサイタルはNHKで収録され、
「クラシック倶楽部」およびFMで放送される。
マンハッタン音楽院およびニューヨーク大学教授を経て
2003年よりカナダのブリティッシュ・コロンビア大学教授として教鞭をとり、
2016 年秋よりフィラデルフィアのテンプル大学教授に就任。
2013 年に自伝的エッセイがニューヨークタイムズに連載される。
大の野球ファンであり、特にニューヨーク・メッツと阪神タイガースに思い入れを寄せている。




24歳で並外れた才能の若き演奏家と評されたデイヴィッド・ビュクナー。

1998年性転換手術を経て女性サラ・デイヴィス・ビュクナーとして再デビュー




デイヴィッド・ビュクナーとしてはNYタイムズ紙等でも高評価されているピアニストでしたが、
サラ・ビュクナーとしてのデビューへのレビューは、
それは冷たいものだったと言います。
「クラシック音楽界は保守的。
キャリアを継続するために、表向きにはデイヴィッドとして続けて、
プライベートで女性として生活すれば良い」と兄や家族は反対し、
ビュクナーさんを説得しようと試みます。
性転換手術ということが及ぼす、ビュクナーさんのキャリアへの影響を心配しての助言でした。
 
しかしビュクナーさんは言うのです。
「3歳の時から、将来はピアニストになると確信していたわ。
その後まもなく、自分は“女の子なんだ”とも確信していた。
公園でよく男の子にからかわれたわ。
“デイヴィッドは女だー!”ってね。
その度心の中で“そうよ。
当たり!”って思っていたの。」




長年の性同一性障害による鬱やアルコール依存といった時期を乗り越えて、

心に決めたこと。

「自分自身の気持ちに正直に居たい。」




ビュクナーさんはついに性転換手術を決意。
その頃はゲイやレズビアン、性同一性障害といったものへの理解もまだ得られず、
性転換手術への保険や費用も莫大で現実的でなかったため、
タイまで渡って手術を受けます。
その間、しばらくの間やむを得ず表舞台から離れることになってしまいます。

無題2

デイヴィッド・ビュクナーとしては1年に50回以上に上るコンサートに出演、
NYフィルやフィラデルフィア管、クリーヴランド管、サンフランシスコ響といった
一流オーケストラと度々共演を重ねていたのに、
女性「サラ」に変わってからは演奏会のオファーは激減。
1998年から2003年にかけては、
1年に僅か3~5回程の地元での小さな演奏会しか仕事がなかったといいます。

「デイヴィッド」はマンハッタン音楽院やNY大学といった一流校で教鞭を執っていたのに、
「サラ」は35の学校に願書を出しても返事すらこない。
「彼と、若い生徒を個室で二人きりなんかにして、大丈夫なのかしら。」
なんて陰口が聞こえているようにさえ感じた、とビュクナーさんは仰います。
そんな心無い扱いは、普段の生活の中でも。
銀行のATMで並んでいたら、後ろの人から“あなたこのマンションの6階に住んでいる、
性転換した人でしょ?”なんて声をかけられ、好奇の目にさらされたことも。


10年以上キャリアに遅れをとろうとも、

「デイヴィッド」を知っている人達から離れたい…

誰も知らない街へ引っ越しを決意。



彼女はマンハッタンを離れて、NY州最北に位置するブロンクスへ引っ越します。
そこで小さな学校で子供にピアノを教え始めます。
「どうしてあなた程の人がこんなところで教えているの?」と他の教員に聞かれたことも。
「子供に教えたいの」と答えましたが、本当はただ、稼ぎが必要だったから。
「デイヴィッド」より10年以上の遅れをとったキャリアでした。
しかし、ビュクナーさんのスポンサーであるヤマハが
継続して彼女をサポートしてくれたのは幸運でした。
デイヴィッド時代にリリースした、
ハンガリー出身・アメリカの作曲であるロージャ・ミクローシュのCDは
サラ・ビュクナーとして再リリースされ、
日本では「蒲田行進曲」の作曲者として知られるルドルフ・フリムルのピアノ曲集を録音した際も、
ニューヨーク・タイムズ紙のクラシック部門で最も権威ある批評家、アンソニー・トマシーニ氏に
「この作品の、これ以上に高潔で感動的な演奏は想像すらできない」と絶賛されます。
そんな頃…

ジュリアード時代の旧友に再会。

「ビュクナーは学生時代から何でも初見で弾きこなして、

周りのピアノ科の生徒を落ち込ませる程の腕前だった」



その後出演した音楽祭で、かつてジュリアード音楽院で共に学んだ友人、フェイナさんに再会。
ビュクナーさんが学生時代からなんでも初見で弾きこなして
『周りのピアノ科の生徒が落ち込まずにいられなかった』程の腕前だったことを
フェイナーさんはよく覚えていました。
授業中に“この協奏曲、ビュクナーさんに初見で弾いてもらおう”と教師が持ちかけ、実際にビュクナーさんが完奏したことも。
自分達との差を見せつけられて、教室の他の生徒達は肩を落とさずには居られなかったそう。
「彼女のような才能を自分たちは持ち合わせていない、と認めざるを得ませんでしたから。」とフェイナーさんはお話されます。
 
偶然の再開を果たした数か月後、演奏活動について尋ねてみると、「あまり上手くいっていないの。」とビュクナーさんは言うではありませんか。
驚いたフェイナーさんは、音楽マネジメントの経験もない、4人の子供を育てる主婦であったにも関わらず、ビュクナーさんの“マネージャー”となることを決意して動きだします。
当初、半信半疑だったビュクナーさんでしたが、フェイナーさんは少しずつ、演奏会のブッキングを増やしていくのです。

「とにかく人々にサラの演奏を聴いてほしかった。
場所なんか何処でもいい、ただ機会を増やさなければ。少しずつ軌道に乗ればいいと思った。」

その努力は実り、ビュクナーさんの演奏活動は少しずつ軌道にのります。
モントリオール室内オーケストラとの共演をはじめ、カルガリー、エドモントン、ハミルトン、バンクーバーで次々とオーケストラとの共演。レビューでは「デイヴィッド」のことが語られることはもうありませんでした。
バッファロー紙では『演奏家の見た目だけで、どのような演奏をするかはわかり得ない。
ビュクナーはスカートとパンプスで保守的に見えたが演奏は真逆だった!火花が飛び散る程の熱演!』と絶賛。

NYでの25周年記念公演は完売、聴衆は惜しみないスタンディング・オーベーションを贈ります。両親がボルチモアから、兄がカンザスから駆けつけ、皆「サラが幸せであることが、幸せ。」と話します。
以前は性転換に賛成でなかった母親はそんな自分を後悔していると話します。
周りは、私が性転換によって自分のアイデンティティまで失くしてしまうことを恐れていたのだろうと、今は思います。
私の個性…毒々しいジョークのセンスや派手な見た目は全く変わってないわ!年齢より若く見えると思っているし。私に後悔は全くないわ。デイヴィッドに出来ることが、サラにできないはずがない。(サラ・デイヴィス・ビュクナー)



【参照】
NYタイムズ紙「Anything He Can Do, She Can Do」
NYタイムズ紙 動画「Crossing the Concourse」






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【参照】

NYタイムズ紙「Anything He Can Do, She Can Do

http://www.nytimes.com/2009/11/15/fashion/15genb.html…





NYタイムズ紙 動画「Crossing the Concourse









 

スイーツ(サラデイビスビュクナー)表




                

今回はその演目にも注目。


マクダウェルの森のスケッチの中の曲で「野バラに寄す」は日本でも良く弾かれます。

難しい曲ではありませんが、ビュクナーさんが弾くと格別な味わいが。

ダナ・スィースは、“女性のガーシュウィン”と言われた作曲家で 

そのカクテル組曲は1曲ずつカクテルの題名のついたとてもおしゃれなサロン風の曲。

宅孝ニの曲は、まさにジャズスタイルです。

ジャズの好きな方はもちろんクラシックファンにも新鮮。

「夏の思い出」や「ちいさい秋みつけた」で知られる中田喜直のソナタは、

ご本人曰く、三つの代表作の一つだそう。中田先生の思い入れがこもっていますが、

「難し過ぎてなかなか弾いてもらえないんだよね」とのこと。生で聴けるのはとても貴重な機会です!


スイーツ(サラデイビスビュクナー)裏



サラ・デイヴィス・ビュクナー

【スイーツタイム・コンサート プログラム】

エドワード・マクダウェル:森のスケッチ

ダナ・スウィース:ザ・カクテル組曲

宅 孝二:プーランクの主題による変奏曲

中田 喜直:ピアノ・ソナタ   他

6月22日(木)

13:30 開演(13:00開場) 一般自由席 ¥2,000 [チャリティーシート¥2,200]

ご予約は宗次ホールチケットセンターへ  ☎052-265-1718(毎日10:00~18:00) 




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